マツコ・デラックスは多くの著述の中で自身の母親について意外に語っています。
結構毒舌で知られてますが、母親の事になると敬愛する表現で語っています。
そんな最愛な母親が亡くなってしまいます。
メディアでは家族の事はほとんど語られることはありませんでした。
現在の活躍はご家族はどの様に思っておられるのでしょうか?
目次
マツコ・デラックスのプロフィール
本名:松井貴博(まつい たかひろ)
生年月日:1972年10月26日(44歳)
出身:千葉県
身長:178cm
体重:140kg
スリーサイズ:B140-W140-H140
血液型:A型
学歴:東京マックス美容専門学校
所属事務所:ナチュラルエイト
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マツコ・デラックスの家族構成は?
ご自身の著書にて家族の事には触れています。
マツコさんは父親と母親の三人家族というのが解ります。
ご両親は共に昭和ヒトケタ産まれという事は解っています。
1972年産まれのマツコさんは、母親が39歳という当時としては高齢で産んだ一人息子がマツコだった!
参照元:女性セブン2016年7月14日号
決して一人息子だからといって甘やかされて育ったわけじゃないんです!
二層式の洗濯機を愛用し、レコードプレーヤーは壊れるまで使い。
マツコが中学生になるまでエアコンはなかったそう。
このことから暮らしは慎ましくあった事が伺えます!
テレビで観るマツコ・デラックスが慎ましく礼儀良いのもうなずけます。
2002年に編集者時代に書き溜めたコラム初の著書「わたしがマツコ・デラックス!」を出版後に生きる気力を失い実家で二年間引き篭もる。
そんなマツコに母親は「引っ越すわよ。あたらしい家には、もうアンタの部屋はないからね。
ひとりで生きなさい」こう突き放すように言われたという。
この母親の発言で背中を押されたマツコはボロアパートに引っ越し必死に生きた。
やがて特徴的な見た目と鋭い発言が支持され現在の活躍になる。
マツコ・デラックスの母親は?
マツコさんは母親似だといいます。(近隣住人談)
「お母さんはそれほど背は高くありませんが、息子さんと同じくふくよかな方です。
マツコさんの母親と知っている人は近所でも少ないですが、良く見ると目元や顎のラインはそっくり。お父さんは寡黙ですが、お母さんはサバサバしていて、しゃべり方がマツコさんそのものでしたね。」(近隣住人談)
お父さんは物静かな方でお母さんは全く逆だったんですね!
マツコさんは女性の心を持っていたので同姓のお母さんとは微妙な関係でした。
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ある日一通の手紙がマツコに届けられます。
お母さんに対し、自分のセクシュアリティーに関しても、職業に関しても、どんな暮らしをしているかも説明したことがなかったの。
お母さんからは、「あんた、大丈夫なの?」と聞いてくることはありましたが、マツコさんは説明ができません。
テレビに出るようになっても、親に見られないように、全国ネットやゴールデンの時間帯を避けて出演していました。
初の著書を出版した直後、テレビ番組出演のオファーが殺到していたが、全て断っていたのも母親に醜態を見られたくなかったと著書に記している。
愚の骨頂 続・うさぎとマツコの往復書簡
マツコが号泣した母の手紙
唯一出演を決めたのはTOKYO MXの情報番組「5時に夢中!」だった。
東京ローカル局の為、千葉に住む母親が観る事は出来ないだろうと思い出演を決めたのだという。
しかし、2011年5月に母親からマツコに一通の手紙が届く・・・。「今年の正月腰の手術をして、杖を使わなければ歩けなくなった母から、初めて明白に、アタシのテレビを見ているという内容の手紙をもらったの。そして最後は『今日も5時の生放送を見ます』で締められていたわ。女装した息子をずっと母は見ていたのよ。アタシ、思わず大笑いしちゃったわ。そして、孤独ではない自分を再確認し号泣したわ」
今回の記事のまとめ
マツコさんは常々番組内で孤独への恐怖をつぶやいています。
いつも息子の活躍を陰ながら応援してた最愛の母親が四ヶ月前に突然亡くなりました。
現在千葉の実家にはお父さんがひとりで暮らしてます。
実家には立派な仏壇が据えられその部屋の反対側にテレビが置かれています。
お母さんが息子の活躍を観られるように・・・。
マツコ・デラックスさんは今後も芸能界のご意見番として斬りまくっていってくれるでしょう。
今会いたい人物の一人です。
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